人生の価値を考える
Updated Date: 2024/01/01 02:55
先日祖母の葬儀があった。意外と若かったことにびっくりしたが、最近調子が悪いことは知っていたのでいつか来る日が来るだろうという覚悟はある程度あった。それでもやっぱり悲しいものだ。
祖母は年がら年中畑と田んぼで働いてデコボコしていた手も、いつしかそのへんにいる普通のおばあちゃんと変わらない華奢なものになっていた。人は変わるんだなとそのとき改めて思った。
彼女は第二次世界大戦中熊本の田舎に生まれ田舎でそのまま育っておばあちゃんになったわけで、僕のようなITにどっぷり浸かった人生には交わることのない位置にいた人だ。多分死ぬまで僕が何をやっていたかはわかってないと思う。それでも僕の進学や就職を一番喜んでいたのは確かだ(僕のやってることがあまりに田舎離れしているせいか、近所の人に孫のことを伝えるたびにウソツキ呼ばわりされていたらしいが……)
そんな出来事があったこともあり、自分もまた自分の人生について考えた。
お金を増やしたい、人を幸せにしたい、モノを作りたい。。。大体の仕事はこれらどれかに集約されると考えたとき、僕は「人を幸せにすること」を優先するなぁと過去の体験や経験から思った。
実際にお金がないならないなりにどうにか過ごしてきたし、モノづくりについては手段として割り切ってることもあるしできないことも多い(音楽も絵もゲームも中途半端に諦め続けてきている)。でも、どの体験・経験
を通しても、人を助けたいという気持ちは絶対にあった。。。はずだ。
仕事でも例えば自分とは直接関わりのない作業も率先して受けたり、誰かが困っていたら相談に乗ったり勝手に意見を伺いにいったりしていた。どれもこれも別に自分の評価やお金や地位や名誉のためではなく、ただ自分がそうしたいという気持ちに従っていただけだ。
そしてここ数年で大きく学んだこともあった。それが「アンラーニング」だ。
過去の体験でも書いたように僕もそれなりの成功体験を持って新しい仕事、新しいチャレンジに向き合った。しかしそれはほとんど失敗に終わった。そこで気づいたのが成功体験の棄却、要するにアンラーニングである。
組織やチーム、仕事内容や職種・業種などなど環境によって正しさも手法も役割も変わる。変わることは悪いことではないしむしろそれを模索するためにいろいろな行動、施策をやってみることのほうが大事である。そのためには「以前はXXだったのに」とか「XXという状況であればXXすべき」のような体験も一度フラットに考え直すことも重要だ。
歳を取ると経験がどうしても新しいことを拒んだり、失敗を避けたりする事が多いので、そういうものは自分ではなく他の誰かに経験してもらうようにすることも1つの面白い選択肢であると思う。結局人って経験しないとわからないことが多いだろう。そして経験は行動からしか生まれない。誰かに行動を促すことで経験値が増えるのであればそれを駆使して成長してもらうことが年配者のできることじゃないかと最近はよく考える。
人を助けつつ、人を育てる。この両輪ができればきっと、自分の人生は価値のあるものだなと僕は感じることができるだろうなと思った今日このごろだった。