僕はトイレが好きだ
Updated Date: 2024/03/25 02:40
突然だが僕はトイレが大好きだ。 トイレと言っても、便器そのものではなく、便所という空間のほうである。
トイレは基本1人で入り1人で用を足すわけで、 そこには他人とのかかわり合いとか世界との繋がりから生ずる ありとあらゆる有象無象の概念から解き放たれる空間がある。 人見知りな人やコミュ障には天国とも言えるほどの素敵な独立した空間。 だからこそ、自分らしくトイレを飾ることでその空間を自分の外的な存在と位置づけることに拘ることもあり得るという話だ。
例えば僕は、明るい空間だと落ち着かないので、耐熱素材の布を電球の周りを巡らせて固定している。
これにより、光度が3分の1程度になっている。
LED電球にすれば耐熱でなくともいいからもっと布生地の選択肢も広がるだろうけど、まだ未検討。
また、トイレの水を補給する部分には100均一で買った擬似アイビーの蔦を這わせたり、
芳香剤を置いたり、トイレ用カーペットを敷いたりとそれなりにデコレーションしている。
それに掃除もこまめにやる。
便器はウォシュレットの便座を外して裏側まで磨き、
掃除機で隅々のほこりを取り、
水周りはトイレットペーパーにトイレ用洗剤やまめピカを吹き当てた後に拭く。
トイレットペーパーが溶けてカスが出てくるときは新しいものを用意してさらに空拭きする。
これにより大変快適で清潔な環境を作り上げるわけだ。愛情の1つの形である。
それでもって心躍る体験は自家だけにとどまらず、立ち寄った店だったり飲み屋だったりでも生じる。 羽田空港で飛行機を待つ間、夜飯として買ったサンドイッチと菓子パンをトイレで貪ったのもいい思い出だし、 イギリスの有料トイレでゲートの開け方が分からずにおっさんを困らせたのも思い出だ。 高い飲み屋であってもトイレに力が入ってないと全然素敵に思えないし、 逆に大衆食堂でもトイレが綺麗で飾り気のある場所だとそれだけで個人的な評価は上がる。
自分のトイレ愛が何処から来たのかは今でもわからないけど、 物事の判断基準とか思い出の基準がトイレであることもよくあるので、 今後共トイレを愛しトイレによって記憶される思い出を大切にしていきたいと思った。