ミクロなスペシャリスト
Updated Date: 2024/01/01 02:55
日本では一般的企業の場合だと、PGやパッケージ製品などのスペシャリストは、 出世しにくい種だと認識されていると思っている。 これはどういうことかといえば、IT業界の場合だと結局SE(現場監督)がプロジェクトを指揮するので、 PG(実作業員)はそのプロジェクトの構造上、役職が上位に存在することはないということだ。
そしてこの話には続きがあって、大抵の場合責任を押し付けられながらの長時間の残業や、
理不尽な顧客説明用の資料作成や・回答すべき方向性の決定など、
確実に実作業員のほうが現場監督よりも激務に晒される傾向がある。
しかもそのどれもがPG実作業員としての役割を超えている。
(これだけ書くと現場監督が楽してるように思われるので補足するが、
あくまでこのプロジェクトに限った話である。
それに炎上したプロジェクトにおいては現場監督側も顧客に説明したり、
ネタを集めて資料化したりと同様に激務になる。
ここで言いたいのは、実作業員の作業に通常不要な作業や、
権限を越えた仕事を与えられる可能性が高いということである)
つまり「上司の責任は部下の責任」という流れは、ここから生まれると思っている。
上司となる現場監督者は部下の実作業員がまとめた内容についてさらにまとめるわけだから、
その真偽や正当性については「部下の判断」という流れに持っていこうとする輩がいるのである。
非常に狡猾かつ無責任ではあるが、僕の個人的経験から言うと事実だと思う。
話が逸れたが、そういう歪んだ力関係も作用して、実作業員としてのスペシャリストは、 大抵「便利屋」としてこき使われるわけである。でも、それはそれでいいと僕は思っている。
世界的に活躍するフロントエンジニアや、日本国内でもカンファレンスやイベント・フォーラムなどで
公演するような人たちは、それこそ一般の現場監督以上の技術力を持っているけど、
今僕らの目の前にある組織はそんな舞台ではない。
これはマクロとミクロの違いだと僕は思っていて、
つまり上述したような人=マクロなスペシャリストであるのに対し、
特定組織内でのスペシャリスト=ミクロなスペシャリストだと捉えている。
組織内のスペシャリストは確かに雑用係として奮闘する日々が続くだろう。
しかし、ここで大切なのは奴隷根性でもなんでもなく、自分の地位を組織内において如何に高めるかだ。
日本らしい企業には、この地位(例えばCTOという役職)はなかなか存在しないし得られにくいものであるが、
個人的にここにたどり着くまでの自己努力と行動は、必ず他社に対しての影響に関ってくると思う。
それに、社内でのスペシャリストというのは雑用とはいえ引く手数多の存在であるから、
自分の発言力や存在価値というのはそのスペシャリスト度合いに比例して大きくなる。
世の中は世界がすべてではない。
僕はちっぽけな組織の歯車としてでも、それを動かす側になり、
自分置かれる小さな世界でのスペシャリストを目指すほうが、少なくとも一般人は幸せになれると思う。
誰もが世界的なスペシャリストになれるわけではない。でも、それは諦めじゃない。
限定的であっても社会に必要とされる人物になれるというのは、
人間なら嫌な気分にはならないはずだ。
ミクロなスペシャリストは、凡人であろうともなれる。 井の中の蛙であろうとも、世界を知らないと馬鹿にされようとも、 威張らず、みんなに愛され、こき使われながらも個人としての尊厳を組織内に保つことが出来る スペシャリストに僕はとても惹かれるのだ。