bon now

ありのままの現実を書き殴る吐き溜め。底辺SEの備忘録。
Written by bon who just a foolish IT Engineer.

日々勉強しなきゃエンジニアスキルは上達しないのか

Created Date: 2018/10/07 01:02
Updated Date: 2024/01/01 02:55
目次:

こんなTwitterを見かけた。

うんうんなるほどね、そうだねそだね。僕もその手の発言をする人間だ。 僕は四六時中ネットとつるんでるし、何かしら面白そうなネタを追いかけたり、突発的に変なことを実装しようとしたりしてる。 それは平日の真夜中であって休日の真夜中であって決まってこんな時間。 やり遂げたときの爽快感は良い。でも体には結構悪い。 この記事を書いている間にも、ふと思い出してAzureのLogicAppをおっ立てた。 この姿勢を例えば会社の後輩に求めるかというと、別に求めようとは思わない。プライベートの時間を何に使うかは人の自由だ。 そんなところまでいちいち縛り付けるのはクソである。
でも、見えざる部分の評価でも書いたように、 プライベートの時間をただ浪費に使うことだけで終わるのは、なんかもったいないよねとは思う。 ただしそれは、仕事の時間に、仕事に対して真摯に向かい合って真剣に己の能力を向上させようという意欲がある場合は例外である。

僕の場合「日頃」というのはあくまで僕の見ている対象者の時間に限る。 なので、大抵は仕事中の姿勢を示すことになる。仲良くなってプライベートもつるむようになったと仮定したら、 もちろんその部分でのフォローもやる。これもまたそういう行動をするかどうかは当人に成長する意欲があるかという前提条件付きだ。

成長を止めた人間にとやかく言う必要はないし、お互い干渉しない方が幸せである。 でも、会社の方針や組織の進むべき道の先に「成長すること」が必要な場合はそういうわけにもいかない。 特に少ない数でエンジニアリングをやらなければならない会社や、エンジニアリングとして新しいことにチャレンジすることを企業文化としている場合、 そこに関わるエンジニアには当たり前のように時代の一歩先をゆく技術力と好奇心や挑戦心が求められる。
そもそもITエンジニアは次の年には技術が進歩していることが当たり前の世界における職種なので、 成長が停滞するということは時代に置いていかれるということに等しいと言える。

例えば枯れた技術と言われているCOBOLであっても、品質保証やプロジェクトの成功率を上げるという努力は今でも行われているはずだ。 そこには過去の経験や知見から得たことが最大限に活かされ、さらに進歩させてシステムを構築するということは当たり前のように行われている。
銀行系の仕組みに多く使われているCOBOLは、システム異常はすなわち金融のマヒである。心筋梗塞に等しい。 そんなミスを犯したらどうなるかは誰にだって分かるはずだ。今の世の中は良くも悪くもお金で成り立っている。
まあ、COBOLプロジェクトそのものに大した成長は無いにしても、秘伝のタレを後輩に引継ぎ続けるという儀式は未だに行われているだろう。 現状は並々ならぬ人海戦術かもしれないが、少なくとも同じことを繰り返し続けるわけではないと思う。 それでも他の現場に比べたらだいぶルーチンワークに感じるだろう。

次に発言後半の「あいつは〜できないからスキル不足」ってのは直接本人には言わないだろうけど、やっぱ思っちゃうときあるよね。 でもこれって別にどの業界でも当たり前のことで、スキルが無ければスキルが身につくように適切な仕事を与えることが重要だ。 しかし成長を辞めたエンジニアの場合、これを「やりたくない仕事を振られたからやる気が出ない」みたいに思ってしまうパターンに出くわす。 常日頃から大したやる気がないくせに、それを仕事のせいにするんだ。責任転嫁も甚だしいね。
やらされ仕事はたしかにツラい。それは僕もよく分かる。僕だってやりたくてやってる仕事はほとんどない。 自由なのは僕が書いてるこのブログや、僕が勝手にやってる自分のための自動化ツールとかおもしろツールとかを作ってるときくらいだ。 でもそれが結果的に仕事につながって、なんだかんだ僕は良く評価されて今でも給与は年々ちゃんと上がっている。年功序列っぽい感じで。
もっと頑張ればもっと伸びるだろうなってのはあるけど、僕は更木剣八みたいに無意識レベルで力を制限するタイプなので、 そこの殻(壁)を脱するのにかなりの修練が必要だ。
自由を手にするためには、やれることを素早く正しくやることだ。 そこから生まれた時間で、さらに自分の自由を勝ち取るための挑戦が始まるというループが、強烈に自分を成長させることになる。

まとめ

結局このITエンジニアあるある問題は2つの課題に集約されるんじゃないかと思う。

  • 現代のIT業界の求める人材への要求レベルが高い
  • 教えるスキルのない優秀な人が無慈悲なことを言う

これはね、多分教える側になって初めて分かると思う。プログラミングってのは部品を設計して加工して溶接して、 組み立てるエンジニアリングと大きく違う点が1つだけある。それは、「結果は1つだが表現は数多ある」ということだ。
プログラミングは一種の芸術であるというのは聞いたことがある人もいるだろう。アルゴリズムという言葉も聞いたことがある人もいるだろう。 これについても別記事で述べたとおりだ。 A = B を証明するために色々な選択肢がある。 それを論理的に最適解を導くことを毎日毎日プログラマはやらされる。意外と脳は重労働である。 大学受験レベルで言うと証明問題が何個もあるみたいな感じ。大変!

あと、どんなに天才でも人に教える技術は意識しないと身につかない。スポーツの監督を例にすると良い。 選手として一流でも監督やコーチになれる人はごく一部だし、評価される人もそうだ。 エンジニアも同じだ。優秀であっても、それを継承することができなければ組織全体のスキルは向上しない。 プログラミングは一種の芸術なのだから、思想や哲学みたいなスピリチュアルな面も含めて教育が必要なので、 ただやり方を教えるだけのルーチン作業よりも何杯も面倒くさい。 そういう面倒な部分を嫌でもやってやると買って出る人をもっと評価すべきだ。
そして、今増えているプログラミング関係のオンラインサロンやスクールを活用して、 IT業界のエンジニア不足が解消されるよう受け入れる側・受け入れられる側双方が教育に目を向ける時代がやってきている。

僕はそれを傍目に見ながら、物欲を満たす方法を日々考えている。

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