好きこそ物の上手なれに水を差す
Updated Date: 2024/01/01 02:55
僕の仕事観として、仕事は自分がやってて好きなものをする。楽しいことをする というものがある。
幼いころのゲームとか、おにごっことか楽しくてやってたことは何時間やっても飽きないし、
いつだって真剣に真面目になれるものだ。だから、それが仕事でできるのであれば、
楽しみながら成長できるし、それが結果的に社会や会社の利益になるのであれば一石二鳥である。
ゆえに、楽しんだほうがよい。
そもそも仕事の楽しさというのは、いくつか見つけるにあたってパターンがあると考えている。
1つは自分から見つけるというやつ。これはまぁ、仕事といっても職種や業種など多岐にわたる選択肢がある中で、 さらにその中でも作業のメタ度が違ったり責任が違ったりすると、その中から自分が楽しめる部分を見出すというのはなかなか大変だったりする。 いわゆる、見つかったら万々歳という幸運なやつだ。 そのため、このパターンだと、それが長きに渡って自分の社会人生活を支える柱になってくれる可能性が高い。良いことだ。
もう一つは、消去法としてこれならマシかも……とか誰かに与えられて徐々に好きになってくパターン。 こっちの場合だと、いざその職務を都合で解かれたり、人事異動とかで別のことをやることになったりすると、 途端にモチベーションが下がってしまう。なぜなら、それは結局その仕事に自分が依存してしまっているからだ。
2つのパターンの決定的な違いは、自分が中心なのか仕事が中心なのかである。 なんか自分でも何言ってんのかわからないけど、要するにそういうことだ。 後者は仕事が変われば、自分が否定されたように感じてダメだということだ。 例えば、会社の何かしらの都合で仕事の取り組み方や業務が変わってしまった場合、 仕事が中心だと自分の居場所を見失ってしまうので、疎外されたという感情が生まれやすい。
生産性や企業価値を上げるために必要な変革は、どの会社でも起き得る事象である。 そのため、働いている人がどういうモチベーションを持っていて、 どのような意思で仕事に取り組んでいるのかを1人1人ちゃんと把握しておくことが重要だろう。 特にこれは中小規模のチームを組織として持っている場合は顕著だと思う。 大企業は、まぁどうあがいても全体をケアすることは難しいと思うので、そこは一部割り切るしか無いとは思う。
が、そもそも論でまずはヒューマンマネジメントとして、「自分が中心」で仕事をしてくれる人を増やすことが大切なんだと僕は思うのである。
もちろん、それに対するベストプラクティスが僕の中にあるわけではないので、 そこは今も課題の1つだ。
自分に自信がなかったり自分よりスキルの高い人が自分の持つ仕事に干渉してくるというのは、 聖域が侵されたような感じがする。なので自分のやり方ではダメだったのか……とか、 どうして信用してくれないのだろうか……とかそういうネガティブな感情が生まれやすい。 モチベーションを持ってもらうために、その人のコアとなる部分の仕事の領域と、 変革を促すための1つの筋の通ったストーリーを提供して共感してもらうことが重要かなぁとは思ってる。 やっぱり、苦楽を共にした仲間を、たとえ今後良くなるであろうことを見越した変革の儀式で失うのは本末転倒だ。 なんとかそこをケアできるリーダーシップを身に着けたい。