bon now

ありのままの現実を書き殴る吐き溜め。底辺SEの備忘録。
Written by bon who just a foolish IT Engineer.

向いてる向いてないあたりの話

Created Date: 2021/02/04 02:55
Updated Date: 2024/01/01 02:55

日々仕事やコーチング、過去にやってきたことや考えてきたことなどなどを、毎日毎日考えている気がしている昨今、人と対面しなくなったことによって否応なく自分と向き合う時間は比較的増えたなと思っている。そんなコロナ禍で再度自分の思ってる人の適性だとか、

パーソナリティ診断

FFS、ストレングスファインダー、16Personalities、Mgramとか色々あるパーソナリティ診断。日本の場合はこういうある程度研究論文に基づいたものよりも、手相や血液型、誕生日などの統計的要素を含んだオカルト(というと失礼だが)要素の占いのほうが盛り上がる。
まぁそれはおいといて、このあたりの診断って本当に正しいのかって誰しもが思うだろう。僕もその1人だ。

実際、16Personalitiesを1年ぶりくらいに再度やってみたけど、ぜんぜん違う結果になった。これ結局その時の気分や置かれてる立場、前回から増えたり減ったりしたメンタルや経験などに左右されるじゃんというのが僕の感想。事実、ちょうど1年前まである程度自分にたいして自信を持ってたメンタルはバッキバキに折られ、学習棄却やら説明責任やら上の立場という重責や難しさあたりに日々メンタルをすり減らす日々を過ごしつつ、抽象的な作業や中長期的な戦略の結果の出なささにイライラ&モヤモヤしてる現状、全く以て過去と同じ結論を見出すことができないわけである。
また、コロナの影響や現職におけるエンジニアリングの文化的な側面から、多様性や働き方あたりを半ば強制的に考え直す時期でもあり、当たり前だが性格も変わるし考え方も変わったのだと思う。

そんなこんなで、パーソナリティ診断は1つの断面として「あーそう、そういうのもあるよね」っていう捉え方くらいでいいんじゃないかなと思った次第。

そんな僕が信じてやまないのは、実は ポケモン自己分析 だったりする。

そして、過去カビゴンだった僕は現在コダックに生まれ変わった。ほらね、違う!

よく言われる 0→1 と 1→10 の違い

エンジニアリングでも0から何かを作るのと、1から10に成長させるために必要なスキルやコミュニケーションは全然違う。これはガチだ。

0→1では生み出すための力が必要である。その力の源泉は考えることよりも行動力だ。Facebookのザッカーバーグ氏の画像でも有名な「多分動くと思うからリリースしようぜ」である。リーンスタートアップとかどうでもいい。そんなことよりもまずユーザーに価値を届けるために「俺の作った最強のXXX」を具現化するために行動する。
また、開発するだけではだめだ。売り込まなければならない。そして金だ。金を集めなければならない。他にもアイデアだ。最強のXXXは最高のアイデアから生まれる。これらはすべてバイタリティ。である。

1→10はより慎重な行動が求められる。「多分動くと思うから」でやるとどっかの機能が動かなくなり、とんでもない賠償や苦情、ひいてはユーザー離れやセキュリティ問題に発展する。初期の頃からめちゃくちゃ増えたかもしれないユーザー規模に対し、1つの拡張が影響を及ぼす範囲は甚大である。ザッカーバーグ氏みたいな優秀なエンジニアが10人集まったとしても、みんなが同じような「とりあえずリリース」精神で動いてしまってはとんでもないことになる。Uberなんかがその良い例だ。好調な事業の拡大につぐ拡大で組織はめちゃくちゃになった。それにはエンジニアリング組織ももちろん含まれている。でも今、新生Uberはレイオフしまくってスリム化した。レイオフされた対象者にはきっと、0→1は得意だが1→10が下手だった優秀な社員も含まれているだろう。

僕はどっちかというと1→10がが多分得意であると思っている。それゆえに最初から「強くてニューゲーム」できちゃいそうなエンジニアリング文化に僕が適合できるかっていうと実は怪しいんじゃないかと最近感じるようになった。

何かが変だという不協和音に潜むのは、おおよそ根本的に当人が感じていた不安というよりも、どちらかというと価値観に対しての警鐘であるのではないと感じる。何を言っているのかというと、要するにシックスセンスが働くときというのは、大体自分の本能がヤベぇと言ってるということだ。(なおさらわからんかもしれん)

「人の役に立つ」という僕の信条

僕にとって大事なことの1つは、自分の行動が人の役に立つである。他の言い方をすると人の意思決定の助けをするということかもしれない。

この発想というか考えに至ったのは僕がコーチングで振り返った過去の出来事や自分が「楽しかった」「良かった」と思う出来事を整理していった流れからである。
例えば最近でも道端で困っている人を見かけてもそれをスルーしてしまうといつも後悔してしまうのは、「自分はその時、役に立つことができたのではないか」という信条に根付く心の葛藤が発生するからだろうなと思う。だったら無視するなやと思うだろうけど、それができないからこそ自分自身でモヤモヤしているのかもしれない。

信条といいつつ、ある意味理想という位置に置かれていることもあり、結局は自分の現状と理想との剥離に今もまだ悩んでいるだけなのかもしれない。
ということは、自分が100%必ず実行できる何かを信条にすることができれば、きっと今後もっと自分や他人に良い結果をもたらすための指標みたいなものを作ることができるかもしれない。

考え方も変えることができるし、精神は永遠に成長する

自分でもちょっと変わったなと思うことがある最近。

アンガーマネジメントだとか禅だとか色々あるけど、結局は人を受け入れる、自分を受け入れる、欲や感情を受け入れるっていうプロセスを踏めば専門的な言葉や特別な特訓なんていらないと個人的には思う。ただ、それに気づけるにはやっぱり何かしらの失敗や衝突などの経験から、気付きや内省などの自分や問題との向き合いが必要だと思う。
結局、物事から逃げ続けていては何も得られない。何かにぶつかったらそれを回避するためにもぶつかったものが何かを冷静に分析することも大事だなと思った。

頭を鍛えることは難しいかもしれないが、精神だけはどんどん伸ばすことができる。これがアドバンテージになるのであれば、やはり人間は皆最終的に山に篭もり、死すまで自分と向き合いながら悟りを開くことが大事だなと思うのであった。色即是空空即是色。

しかし大事なことは、「色即是空」は別にブッダの言葉ではないということだ。おしまい。

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