専門家が盲目になる瞬間
Updated Date: 2024/01/01 02:55
先日、白い巨塔の令和版が上映されてた。平成版白い巨塔は僕も記憶があったので、ちょっと違う話になってるなーという感想。
まぁ、そんなことよりこの物語のポイントの1つは、がんの専門医である財前五郎が、自身のがんに倒れるまで気付くことなく、そのまま人生を終えることにある。
専門家といえ明日は我が身であることを知るよい作品である。(実際はもっと他に学ぶことのあるドラマ・小説なので、そこはぜひ読んで感じてほしい)
ところでこれまた別の日に、医師や看護師の人がTwitterで「ステージ4のがん患者が自分の終わりを決めるにあたり医者・看護師にすべてを任せるみたいなの、人生最後なのに他力本願でいいのだろうか」みたいなツイートがあって、 ちょっと考えたのである。
例えば財前五郎も、自分ががんで病床に伏したことで、患者の立場でのがん(というか自分の認識の及ばぬ状況)に向き合うこととなり、そこで初めて患者の気持ちを理解するというシーンがある。 これは別に医学の世界だけではなく、エンジニアの世界でもおなじである。
ちょっと何言ってるかわからない顧客に対して抱く「こいつわかってないな」っていう気持ち、
感覚が自分らのそれとズレている顧客の認識に対して抱く「こいつバカだな」っていう気持ち、
新米エンジニアの「分かりませんが分かりません」っていう素直な心情、
そういう心に対して自分なりに「えっ」と思ってしまうのは、ある意味で経験を積んで成長した証であり、
逆に言えば忘れてしまった幼心ということだろう。
この、双方の気持ちの差には大きな溝があって、僕には良い面が全く見えてこない。
誰しもがいう「初心忘れるべからず」とは、この事実を体現した言葉なのかなと思った。