昔のほうが好みだったというあれの正体
Updated Date: 2024/01/01 02:55
よく音楽やゲームで「昔のほうがよかったわー」っていう感覚はないだろうか。私はある。
例えば僕は中学生の頃今も大活躍中の二人組ユニット「ゆず」のファンで、
青春といえばゆず、もしくはジューク(19)というアコギばりばりの漫画BECKでロック好きを偽ってました的な二面性を持っていた。
オッサンになった今、僕はもうゆずを聴いていない。
栄光の架橋辺りまではギリギリ追っていたんだけど、それ以降の曲は全然しらない……。
なぜだろう。簡単なことだ。趣向が変わってしまったのだ。いや、そうじゃない。
アーティストもまた、自ら成長しているのだ。
音楽を作るという創作活動には、当人のライフスタイルや価値観、アイデンティティなど、 環境に強く影響を受ける部分がある。 有名な画家ピカソも最初からキュビズム志向で進んでいたわけじゃない。新たな可能性や表現を求め自己探求したのだ。 音楽家だってそうだ。彼らもまた同じように自分たちの音楽と向き合い、表現を繰り返す。
つまりこの「昔のほうがよかった」っていうのは、音楽家との価値観の相違が生まれたことと、 自らが成長することをやめてしまったのどちらかが正解になる。稀にずーっと同じアーティスト好きという人もいるけど、 その人は幸運にも好きなアーティストと共に成長できた人たちだ。胸を張ってファンであることを誇ってほしい。 ちなみにゲームの場合も大体おなじ理屈になると思うのだが、こっちにはどうもノスタルジーによる記憶の美化が挙げられるようだ。
ノスタルジーは心の記憶である。色褪せることのない輝かしい未来への展望に胸を弾ませていたか、
何も考えずただ明日を待つ幸せな人生の象徴だったかもしれない。そういう心を失くしてしまった大人たちの行きつく先がノスタルジーである。
ノスタルジーは強く心を引きつける要素がある。だからこそその当時のモノ、音楽、文化は、
自らが生きた証として精神的に求めてしまうものだろう。
でも、そこにとどまっていては未来に進めない。ノスタルジーはあくまで過去にしか存在しない。
現在を生きる僕らオッサンは、少なくとも新しい世代に対しても同じようなノスタルジーを与えることのできる何かを創り上げていかなければならないのだ。
まとめ
僕らの昔は過去の思い出。そして、未来への挑戦である。 「昔のほうがよかった」と感じ始めたその時、僕らの生き方は180度変わるのである。