ゼロからの挑戦
Updated Date: 2024/01/01 14:47
30代もそろそろということに差し掛かり、なぜか0からチャレンジすることが増えた。
この年になるとそうだろうと思う人もいるかもしれないが、多分これはずーっと大手SIを続けていた場合はあんまり体験できないものだと思う。
大手は良くも悪くも作業フローに大きなフレームワークが存在していて、その型の中で作業をすることをある程度は定義されている。
なので、型を作る側になったり、新規でプロジェクトを立ち上げたりするくらいのバイタリティのある人なら、
0の挑戦ってのはまあそれなりに得られる体験ではあるが、従業員の母数に鑑みてもそういう人らが多くないことは明白だ。
こういう、個人プレーの必要となる挑戦ってのは、やはりベンチャー企業や零細企業のいわゆる人が少ないから個人のスキル(責任)に頼るしかない状況で発生するし、
フットワーク軽くやってみようという風土のあるところで起きる出来事である。
実際僕も今回は成果を出すために孤軍奮闘して、社内では誰も未開の領域で試行錯誤と創意工夫をやりまくった状況だった。
この修羅場っぽい挑戦を乗り越えた時、非定型能力が身につくのかなーと感じている。 というのもどっかのはてなブログでみかけた記事に「社員の能力を図るときはその人の非定型能力を見る」っていうやつがあって、 なるほどなーと思ったからだ。 最近僕の周りにも年齢的にも地位的にも部下っぽい人が増えてきたんで色々と作業や仕事内容の確認や評価をすることがあって、 そういうとき確かに大きく評価を分けるのが以下2つの能力だと感じていた。
- 論理思考力
- 非定型作業の能力
論理思考ってのはロジカルシンキングと言われるもので、まぁ説明せずともだいたい分かるだろう。
A = B、B = C、ゆえに A = C という感じで、1つ1つのプロセスや証明を順序立てて考え、結論を導くあれだ。
これに加えて実際の仕事における論理思考力にはもう一つ重要な点があると思ってて、それが「簡潔にする」というものだ。
先例の場合、A = B、B = C が最適解になるんだけど、人によっては A / 2i + Pi * r^2(sinθ) = Bcosθ ……みたいな証明から、
A - B = C - B ゆえに A = C を導く人もいる。
もちろん、答えは同じなんだけど、どう考えても人の理解は前者の方が早いだろうし、
後者だといちいち考え直す必要がある。ええっとつまり……みたいな情報伝達の抜け漏れが起きやすい。
特に僕のように集中を維持できない人間は途中でワケがわからなくなる。
仕事の場合は自分のやり方にこだわるのも確かに大切だとは思うが、それをいかに簡潔に、正しく、相手に理解させることができるについて
思考することも、1つの論理的思考力だと思うのである。
次の、2の非定型作業の能力というのは、例えば「データベース負荷が起きた場合の現在のシステム上の問題点影響をまとめてほしい」という、
仕事に対する漠然とした依頼についての成果物をみるものである。
能力の高い人は事前に調査範囲や期日を確認し、ある程度の骨子を展開してくれるため、
どの程度の粒度で仕上がってくるのかを早めに共有することができる。それゆえ、不足、過多する情報や作業量についても、
事前に調整し適正化して仕事を進めることができるのだ。
逆に、この能力の低い人は自分なりに適当にまとめて、挙げ句最後の最後になって「こんな感じです」とターゲットのあやふやな成果物が提出される。
提出されたらまだよくて、本当にこの能力が低い人は当日になり「まだ終わってませんけど」みたいな状況で未完成みたいな場合もある。
ちなみに僕も最近この手の作業を依頼されたことがあり、今思うと僕はスキルを試されていたんだなーと感じている。
その時は僕もとりあえず第一段階としてゆるーく調査したものを提出したんだけど、早めにどの程度までの情報をまとめたら良かったのか相談すればよかったな……と後悔している。実際、結果は中途半端なまとめになって、ここで述べている駄目な例になってしまった……。反省。
で、これらをまとめると、挑戦することでこれらの能力が培われるのであれば、僕みたいなオッサンがやるよりも、
26歳くらいの若手イケイケ社員が早い段階で経験すべきことであるというのが今回の僕の結論だ。
だから、大手で仕事をしている人はどんどん前に出ていってほしいし、
ベンチャー企業や中小企業務めの人は自分から手を上げて面白いことに首を突っ込んでいってほしい。
大手の場合は激戦区になるけど、地道に行動を続けているとそのうち声をかけられたり、目をつけられたりする。
これは僕の実体験なので、やれることはどんどんやって、アウトプットをしていくことを忘れないように心がけたいところだ。
(アウトプットがなければ、人は君の努力が正当であるかどうかに気づけない。たとえそれが、深夜の残業だったとしても……)
また、僕らオッサン世代もしっかり若手の良いところや伸ばすべきところに着目しながら、上手く挑戦できる部隊を整えて担ぎ上げることも重要だ。
まとめ
なんだかんだで挑戦することで新しい知見が広がって、「あの頃XX…って言われていたのはこれのことだったのか」とかいう
経験と知識を関連付けることもできる。こうなると、人はなかなか記憶から忘れないようになる。だから身につく。
そういうサイクルが一番人を成長させる。だったら若い頃にもっとチャレンジすべきだった……。
そんな事に気づいたオッサンのある日だった。