プログラマ定年説を自分なりに考えた
Updated Date: 2024/01/01 02:55
twitterでもちょっとつぶやいた以下の内容の詳細を書く。
プログラマとしてそれなりにGeekっぽい人間になるには、20代でのプログラムやIT技術への取り組み方で方向性が決まると思ってる。むしろ10代とも言える。
— bon10 (@bontar0) 2014, 7月 31
ここではGeekの定義を「すんげープログラマで通常の3倍生産性がよく、どの言語、 環境で作業させてもそつなくこなすマルチな人」とする。
Geekを生むのは過去の体験
世界のGeekの人たちがそれに目覚めた理由をWikiとか自叙伝とかWebでググってみると、 大抵「小学校の頃触ったあのPCが」とか「高校・大学での恩師が」とかそういうのが多い。 僕自身も実際のところ小学生時代にiMacを触ってたんだけど、 今こうしてコピペプログラマというクソなジョブを手に入れている。 なので、過去の体験は大人の職業に少なからず影響を与えるということがわかる。 しかし、それがGeek具合に影響を与えるかというとそうではない事もまたわかる。
Geekらしさが生まれるワケ
個人的には体験で得られることの「なぜ」とか「どうして」「自分でやってみたい(やってみよう)」的な欲動こそ、 Geek誕生の原動力だと考えている。 「自分でもOS作りてぇ」とか「自分でもゲーム作りてぇ」とか「なんでこいつ動いてるんだ?」とか。 要するに人一倍興味対象の物事について探究心が強いことがGeekらしい部分だ。 そしてこの「探究心」は、年齢が若かい時に燃え盛るほどその人物の能力構成に影響する。 例えばプロ野球やプロサッカー選手などのアスリートには、統計は取ってないけど、 高校からそれを始めた人間よりも幼少~小学校からそれを始めた人間のほうが多いだろう。 それはやっぱり、小さい頃からやって来た「体験」と「経験」とが融合し、 自分を成長させるための原動力になっているからだ。 (アスリートは肉体的・身体能力的な影響がかなり大きいので、その点を考慮した場合はこの限りではない)
プログラマも同様で、「学ぶこと」「できたこと」が融合することで、 一歩一歩と新しい世界を切り開いていく経過によりGeekらしさが生まれてくる。 だから、簡単に挫折してしまったり飽きたり投げ出したりしてしまう行為は、 結果的に当人からGeekらしさも燃える若き欲動さえ奪ってしまう。
30代からGeekにはなれない?
若い時の時間は豊富だ。それこそ年取って振り返ると無限大にも感じるだろう。可能性もまた同じ。 例えば僕の例を考えると、まず仕事で8時間が潰れる。 この仕事はSIerらしく、特別な学びも成果もない、それほど技術進歩を必要としないレベルのものなので、 プログラマとしてのスキルの伸び率は低い。
家に帰ると子供の相手が待っているので、自己啓発もできない。
休日は別の趣味や家族団らんに興じるので、ここでも自己啓発はない。
あるとすれば通勤時間の往復2時間くらいなので、
僕はその時間をよく小説や啓発本を読む時間に当てている。
ただし、基本的には文庫本サイズ~A5のハードカバー以外の書籍しか持ち歩かないので、
大型書籍はあんまり読む時間が取れない。
そんな僕の年齢はアラサーなのだが、この年代の大抵の子持ち既婚者は、 正直今まで以上の成長曲線を仕事・趣味以外の場では望めないだろう。そんな暇がないから。 だから仕事って大事だし、趣味から様々なことを学び続ける姿勢も大事なのだ。
僕がこんなことをしている間に、多くのGeekは既にGeekらしく働きGeekらしく生きている。 彼らに万が一追いつく時があったとしても、それはお互い定年退職後に趣味で何かやってるくらいの時期になる。 だから「よし、今からGeekっぽくやるべ」という30代のチャレンジは無謀といえる。 学歴と一緒で、自分の所有する知的財産と体験は過去に戻って取り返せないものだ。 たとえ独り身の30代であったとしても、「学ぶこと」への意欲不振や体験への感動を忘れがちな大人になっているのなら、 それも無理。才能があれば別だが、知識集約という観点でみるとそれは大人になってからでは得られにくいから、 尚更無謀だ。
これが現実である。
アラサーコピペプログラマはこれからどうすればいいか
Geekに羨望し、不満や嫉妬を抱えながら日々を悶々と生きつつ、 理想と現実との狭間で苦悩する自称意識高い系コピペプログラマ諸君に、 1つだけ行ってほしいことがある。それが「子育て」である。 ただし、独身諸氏が子どもを連れていることは無いと思うので、 そんな方は「子ども」を部下・同僚と置き換えて欲しい。
僕らアラサー凡人に残されている財産が1つだけある。 それは子どもという未来へ生きる人間の若き才能だ。 彼らには可能性が心の奥底で今か今かと出番を待っていて、輝く機会を伺っている。 これまで述べたとおり、若さは人間の武器である。 そんな彼らにこそ自分が為すことのできなかった心の欲動を説いて欲しい。 ただし、決して強要してはいけない。
彼らには彼らの人生があり、彼らの考え方がある。 僕らができるのは、生きる上で感じた興味は飽きることなく楽しみ、探求し、学ぶことと教えることだ。
そして彼らが大人になった時、 僕らに対し「君が居てくれたから」と言ってもらえることで、 おそらく僕らの心は救われる。 たとえそこにGeekらしさも自分の描く理想がなかったとしても、 誰かに敬われ、慕われることにより、自分の存在価値が肯定化される。 僕らはGeekになれずとも、Geekらしさで他人を育てることができる。
……と、自己肯定しておかないと、恐らくルサンチマンに押し潰されて辛いだけなので、 意識高い系で人生を乗り切っていこう。
追記
まとめ
以上のような感じで、中途半端かつ伸び白なく現代のIT革新時代に迷い込んでしまった哀れな凡人プログラマに対し、 残された道はプロジェクトマネジメントやプロジェクトリーダーくらいしかない。 (または転職による転生) そのため、プログラマ定年説が真しやかに30代(35歳が定説か)と言われる所以の一つは、 上述したように「Geekらしさも無く学ぶ時間も満足無く、挙句後から入ってくる新人・中途採用の 可能性溢れる人物らにポジションを渡すほうが会社の利益となるし、 自分はその人らを指導・教育する立場に立ち、プロジェクトをマネジメントするという立ち位置しか残されてない」 という理由からであると僕は考えた。
知恵の良い所は、老いてもなお有効であることだ。 アスリートの肉体的・体力的要素は老化とともに衰えるのだが、 脳の活発化した状態での知恵は衰えない。 これを利用して、時間を持て余すようになった時期から趣味を極めることで、 Excelで絵画を書けるようになったり、2chでスレ立てるようになったりしたおじいちゃんが実在する。
要するにGeekらしさ自体はいつだって手に入れられるんだけど、
それを必要とされるときに得られない事がもどかしいという話である。
(認知症の予防にもなるので、探究心はじじばばになっても持ち続け、意欲的に生きるとなお良い)